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マイペース70代

マイペース70代

障害を持つ子の親の思い

Mさんの死に思う

Mさんのお通夜に参列した。
75歳というのは、一般的に言えば「早すぎる死」というわけではない。
しかし、きっとMさんはまだまだ長生きして、
一人娘の生涯を見送ってから逝きたかっただろうと思う。
多分、本当に後ろ髪引かれながら、心を残して旅立たれたのではないか。
手術をしたのも、絶対に元気にならなくてはと、
強い意志で病に立ち向かっていらっしゃったと思う。
だから、「待ってくれ、まだ私にはしなくてはならないことがある」と、
あの世の入口で足踏みをしていらっしゃるのではないだろうか。
でも、お若い頃からとても信心深い方だったので、
「仕方ありません。あとはよろしくお願いします」と、
全ての人たちに頭をさげていらっしゃるかもしれない。
(私のような凡人とは違い、そちらの可能性が高いかも)

Mさんとの出会いは、35年も前になる。
私が「福祉」の仕事を希望しながら、ウロウロしていた頃であった。
当時Mさんは、障害を持つ子どもの親の会を立ち上げ、
小規模の障害児の通園施設の設置を行政に働きかけ、
仲間と共に何度も陳情をしていたようだ。
そしてやっと、地域会館の一部屋で
親達が集まって機能回復訓練をする「訓練室」が、
自治体の補助により運営されることになった。
そして私は、その訓練室に関わるようになった。
Mさんの一人娘は、重度の脳性まひの障害を持っていた。

Mさんご夫婦の姿には、本当にたくさんのことを教えていただいた。
Mさんは、退職後は地域福祉活動をはじめ様々な公職の中で、
いつも「弱い立場の人たち」の視点に立ち、
行動しつつ率直な意見や提言をされていた。
また、趣味や信仰を通しても多くの人脈を紡ぎ、
誰からも慕われ尊敬される人だった。
前職が防衛庁関係だったせいもあり、政治的活動基盤は「自民党」であったが、
その中での地位が上がっても、決して偉ぶることはなく、
時々お会いすると、最初に出会った時と同じ笑顔で、
「ヤー、○○ちゃん、元気かい?」と声をかけてくださり、
私が関わっているイベントなどには、お忙しい中を顔を出してくださった。

Mさんの奥さんは、数年前に亡くなっている。
二人三脚で娘を見守り、
社会に向って働きかけ続けてきたMさんにとっては、
大変な痛手だったと思われる。
(多分そのことが、彼の命を削ったのではないか)
きっとそれからは、奥さんの遺影に向かい、
「娘のことは、オレがちゃんと見守るから」と語りかけてきたに違いない。
それをまっとうできず、施設に暮らしている娘を置いて逝くことは
どれほど心残りであったろう。

でもこれからは、奥さんと二人で空の上から、
毎日娘さんを見守り続けることだろう。
それにしても、これからは大好きなお父さんも顔を見せてくれなくなって、
どれほど娘さんは淋しいことだろう。
でも、ご両親に溢れるほどの愛情をかけられたことは、
障害はあっても、子どもとしてはとても幸せだったのではないかとも思う。

Mさんもであるが、障害を持つ子どもの親から、よく聞く言葉がある。
「たった一日でもいいから、子どもより遅く(後に)死にたい」

一般的には、「子どもの死を見ずに、順番どおり死にたい」と思うだろう。
しかし、障害を持つ子の親は、
自分の死後の子どものことを思うと、たまらないという。
一昔前であれば、特に重度の障害を持つ人は、
そんなに長生きできないことが多かった。
だから、親の願いどおり、子どもの生涯を見送ることが出来た。
しかし今では医学の進歩により、
障害を持つ人たちも、かつてと比べたら随分と長生きできるようになっている。
子どもより先に死ねないとは思っても、子の死を願う親はいない。
だから、「こんなに長生きできてありがたい」とは思いつつ、
時には複雑な気持ちにもなるだろう。
親が安心して、子より先に死ぬことができること。
それが「社会福祉」なのだろうと思う。
その意味では、まだまだ日本は福祉国家とは言えないのだ。
そして、そのしわ寄せの悲劇が、時々メディアに取り上げられる。
「障害を持つ子どもの将来を悲観しての無理心中」である。
よく見ると、子も親も高齢の場合が多い。

Mさん、お疲れ様でした。
ゆっくりとお休みになれないこととは思いますが、
この社会が「障害を持っても安心して生きてゆける社会」になるように、
私たちを叱咤激励し続けてくださいね。


(2005年07月21日)


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